介護日記15 母の手術と叔父の老衰

介護日記
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2月5日 母の手術の日。
朝は一人で起きた。
思っていたより体は動いていて、それが少し不思議だった。

病院で、手術前の面会。
母は相変わらず、ほとんど食べていない。
ベッドに横になり、手すりを強く握っていた。
眠っているけれど、その手だけは離さない。

不安が、体のどこかにずっと残っているのだと思う。
それでも眠れていることに、少しだけ安堵した。

「食べれないのは老衰なのか、腎臓なのか」
そんな考えが頭をよぎる。
でも今は、はっきりした答えを出す時ではない。

この手術で、劇的に良くならなくてもいい。
ほんの少しでいいから、楽になってくれたら。
それだけを願っていた。


手術は2番目。
前の手術が終わるのを待ってから呼ばれる予定だった。
当初は14時半ごろ開始の見込みだったが、
最初の手術がかなり長引いているらしく、
実際に始まったのは16時15分だった。

待つしかない時間は、思っている以上に消耗する。
呼ばれるまでの時間が長く、心細さを強く感じていた。

手術の立ち合いは、たいてい家族が複数いることが多い。
一人っ子で独身の私には、
隣で誰かと話せる人がいることが、少しうらやましく感じられた。


手術が終わったのは、18時半ごろ。
2時間程度と聞いていたので、時間としては想定内だった。

手術室に呼ばれ、医師から説明を受ける。

膀胱の腫瘍は、すべてを取り切ることはできなかったが、
表面を平坦にして、出血を止める処置はできたという。

医師からは、
「腫瘍は根深いこと」
「リンパ節まで広がっている可能性も否定できないこと」
が伝えられた。

それでも、今いちばん困っていた出血については、
「しばらくは止むはず」と言われ、
尿の通り道も確保できているとのことだった。

術後はカテーテルが入っているが、
状態が安定していれば、2〜3日で外す予定だという。
今日の段階では命に関わるような急変はなく、
ひとまず大きな山は越えた、という印象だった。

説明を受けた後、母が病棟に戻ってきた。
意識はあって声をかけると目を開き私を認識し、大丈夫と言葉を発した
安心した。

治す医療ではなく、
これからは症状を抑えながら付き合っていく医療。
その現実を、静かに受け取った。


同じ日の夜、
別の家族の話が届いた。

施設に入っているYおじさん。
これまで私がキーパーソンとして対応してきたが、
母が年末からこの状態になってしまい、
今は若い叔父であるSちゃんに任せている。

そのYおじさんが転倒し、9針縫って入院。
そこから急激に体力が落ち、
今日「老衰」と説明されたという。

今は点滴で命を支えている状態で、
意識はなく、眠ったままだそうだ。

同じ施設で暮らしている奥さんの(痴呆要介護1)Tおばちゃんは、
病院で点滴を続けて少しでも命をつなぐか、
施設に戻って会いやすい環境を選ぶか、
その選択に悩んでいる

医師からは、
「鼻から栄養を入れれば、
長く生きられる可能性はあるが、
苦しいこともある」
とも説明されたらしい。


命を延ばすこと。
苦しませないこと。
一緒にいられる時間を選ぶこと。

どれも大切で、
どれも間違いではないのに、
同時にすべては選べない。

彼女は、苦しまない程度の延命措置「病院での点滴」を選んだ

今日は一日で、
手術室の前で「これから」を待つ時間と、
病室で「終わりが近い現実」を知る時間を、
同時に経験した。

生きるための医療と、
終わりに向かう医療。

その境目は、思っていたよりも静かで、
はっきり線が引けるものではなかった。

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