緩和ケアへの移行を告げられた帰り道。
外はしとしとと雨が降っていた。
うちの駐車場は建物から少し離れている。母を濡らさないようにと思い、建物の入口まで車を寄せて母を先に降ろした。
「ちょっと待っててね」
そう声をかけて、車を駐車場に停めに行った。
ほんの数分のことだった。
車を停めて戻ってくると――
母の姿が、どこにもない。
え?
え?
入口の周りを見てもいない。建物の中も見渡す。
何度も行ったり来たりして探す。
うちはエレベーターがない。
数分の間に階段を上って部屋まで行ったとも思えない。
玄関のドアも開いていない。
まるで、神隠しにあったようだった。
隣の家や下の階のインターホンを押してみる。
でも誰も出ない。
どこに行ったの?
悪い想像ばかりが頭の中をぐるぐる回る。
歩くのもやっとの母が、雨の中外へ出たとも思えない。
でも、どこにもいない。
呆然と立ち尽くしながら、
「どうして目を離したんだろう」
という後悔の気持ちが押し寄せてきた。
時間だけが過ぎていく。
数十分探しても見つからない。
もう仕方ない。
警察に電話しよう。
人生で初めて110番に電話をした。
「事件ですか?事故ですか?」
そう聞かれ、母が行方不明になったことを伝える。
年齢、服装、髪型、身長。
細かく質問される。
警官が来てくれるので、自宅で待つように言われた。
階段を上って部屋に戻ろうとしたその時、
一階の方から人の気配がした。
何だろうと思って降りていくと、
そこにいたのは――母だった。
そして一階の住人の方。
どうやら母は、いきなりその家に入ってきて、座っていたらしい。
住人の方も相当驚いたと思う。
老人だから許されるかもしれないが、世が世なら不法侵入に近い。
それでも、何も起きなくて本当によかった。
ひとまず住人の方にお礼を言い、母を家に連れて帰る。
母はまったく悪びれる様子もなく、自分がしたことも覚えていないようだった。
自分の家の場所も、もう分からないのか。
そう思うと、少し悲しくなった。
ただでさえ緩和ケアの宣告を受け、心が壊れそうになっていたのに、この出来事で一気に疲れが押し寄せてきた。
その後、菓子折りを持って改めて一階の方に謝罪とお礼に伺った。
すると住人の方はこう言ってくれた。
「うちの父も認知症で苦労したんです。お気持ちはわかります。気になさらないでください」
その言葉に、少し救われた気がした。

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