介護日記42 母の最期

介護日記

4月24日 午後

友達とランチをして、病院へ戻る。
母は眠っていた。

いつものようにスマホで心地よい音楽を流しながら、PCを開いてそばで作業をする。
静かな、いつもと変わらない時間だった。

18時ごろ。
ふと、母の呼吸の間隔が短く感じた。
そして「あっ、あっ」と喘ぐような呼吸に変わっていく。

何かがおかしい。

ナースコールを押すと、「少し苦しいのかもしれませんね」と言われ、緩和の点滴を入れてくれた。

19時過ぎ。
少し落ち着いてきたように見えたので、いつものように談話室へ。
朝方買っていたパンを頬張る。

欲張って2個にサラダまで買っていたので、お腹いっぱいになった。

この時は、これが病院での最後の食事になるなんて、思いもしなかった。

20時、病室に戻る。

やはり呼吸が違う。
しばらくすると、痰が絡んだような「ゴロゴロ」という音が、かすかに聞こえてきた。

(もしかして、下顎呼吸…?)

不安がよぎる。

ナースコールを押すと、「痰を吸引しましょう。機器を持ってきますね」と言われた。

私はずっと母の手を握り、様子を見ていた。
確かに、ゴロゴロと音がする。

看護師さんが血圧を測る。
低い。
酸素も90。脈も取りづらくなっている。

「いつもと違うかもしれませんね」

その一言で、現実が一気に迫ってきた。

手を握り、母の顔を見つめる。
涙が止まらない。

神様、お願い。
まだ連れていかないで。

すると母が目を開けて、私の方を見た。
そして、手をぎゅっと握り返してくれた。

「お母さん、大好きだよ。今までありがとう。
迷惑かけてごめんね」

そう伝えると――

母は大きく目を見開き、
力強い眼差しで、数秒、じっと私を見つめた。

「お母さん、お母さん!」

手を握りながら、泣きながら呼ぶ。

そして――
ふぅっと、小さく息を吐いて、呼吸が止まった。

母は、旅立った。

看護師さんが
「脈も心音も取れませんね」と静かに言った。

ついに、人生で一番恐れていたことが起きてしまった。

寂しい。
寂しくてたまらない。
これからどうやって生きていけばいいのか分からない。

一番大切な人が、いなくなってしまった。

でも、顔に触れるとまだ温かい。
今にも目を開けそうで、どうしても現実と思えなかった。

「どなたか連絡されますか?」

そう聞かれて、叔父に連絡をする。

入院した日に、私は泣きながら叔父にお願いしていた。
「葬儀のこと、お願い。ひとりでは無理」と。

叔父は約束を守ってくれた。
夜にもかかわらず、電車に飛び乗って来てくれるという。
到着は22時半ごろ。

それまでの私は、ただ呆然としていた。

「いつでもLINEしていいからね」と言ってくれていた友人に連絡すると、すぐに返信がきた。
「今から行こうか?」とまで言ってくれた。

叔父が来ることを伝えると、「よかった、安心したよ」と言ってくれた。

母の目が少しずつ開いていく。
まるで、まだ生きているかのようだった。

22時半。
当直医師が来て、死亡確認。

人が亡くなる時間は、こうして家族がそろってから決まるものなんだと知った。
本当は、20時だったのに――と、心の中で思った。

葬儀社には私が連絡。
1時間半ほどで迎えに来てくれるという。

看護師さんが
「体をきれいにしましょうね」とエンゼルケアをしてくれた。

私も一緒に、顔や手、足を拭く。
着替えも手伝う。

入院の時に言われていた。
「お気に入りの服を用意してください」と。

選んだのは、ベージュのレースのアンサンブルニットと茶色のパンツ。
母のお気に入りかは分からないけど、私が好きだった服。

下着も、レースのもの。
オムツではない。

元気だった頃の母に戻ったようだった。

髪を整え、少しメイクもしてもらい、
とても穏やかな顔をしていた。

1週間泊まり続けた病室を、バタバタと片付ける。

葬儀社の方が来て、母は安置室へ運ばれる。

私は車だったので、叔父に霊柩車についてもらい、
私はその後ろを走った。

葬儀場に着いた頃には、日付が変わっていた。

安置室で、眠っているような母。

翌朝9時から打ち合わせ。
それまで、しばしのお別れ。

本当はずっとそばにいたかった。
後ろ髪を引かれる思いで、自宅へ戻る。

叔父も泊まってくれることになった。

久しぶりの自分のベッド。
疲れているはずなのに、眠れない。

YouTubeで死に関する動画を流しながら、
それに少し救われて、うとうとと数時間の仮眠をとった。

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