母が亡くなって半年がたった。
喪に服すわけでもなく、北海道に大阪にと自由気ままに旅行し、私はまあ元気である。
これまでの週末は、土日のどちらかに予定が入り、残りの一日は休息日として翌週に備えることが多かった。
時には二日とも予定が埋まり、「ああ、もう少し休みたい」と思うことさえあった。
ところが最近、パタッと出かける機会がなくなった。
さて、今週末は何をしよう。
そんなことを考える日が増えてきた。
そして、そんな時にふと訪れる孤独感。
今の私は、伴侶も親兄弟も子供もいない。正真正銘の「おひとり様」である。
世の中には「おひとり様」を宣言している人がたくさんいるが、いやいや、よくよく聞けば単なる一人暮らしだったり、何かしら誰かがいたりする。
私の場合は、そうではない。
この先もずっと、この状態が続くのか。
そう考えると、時々ゾッとすることがある。
もちろん、寂しければ誰かに声をかければいい。話し相手くらいは見つかるだろう。
ただ、それが心の安心につながるかといえば、必ずしもそうではない。
寂しさを紛らわせるためだけに予定を入れ続けても、結局は疲れてしまう。
この孤独感は、きっと自分自身で向き合っていかなければならない課題なのだろう。
孤独を消すのではない。
孤独という塊を、「孤高」というものに変えていく。
昔は「孤独」も「孤高」も似たようなものだと思っていた。
しかし、今になって思う。
いやいや、その精神的なあり方は雲泥の差である。
孤独とは
人とのつながりや理解を求めながら、それが満たされず、寂しさや孤立感を抱えること。
周囲に誰かがいても、心が孤独であることはある。
孤高とは
周囲に流されず、自分の価値観や信念を持って、自立して生きること。
誰かに理解されることや、他人から認められることだけに自分の価値を委ねない。
一人であることを、寂しさではなく、自分らしい生き方として受け止められる精神的な強さ。
同じ「一人」でも、その心のあり方はまるで違う。
昔、中森明菜が『SOLITUDE』という歌を歌っていた。
当時の私は、その言葉の意味がよくわからなかった。
でも、今なら少しわかる気がする。
一人でいることと、孤独であることは違う。
そして、孤独であることと、孤高であることも違う。
今の私は、孤独から孤高へと変わっていく移行期にいるのかもしれない。
いや、そう信じたい。
誰かがいるから安心なのではなく、一人でいても心が穏やかでいられる。
そんな自分になりたい。
自分軸を持つのだ。

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